松戸混声合唱団 Matsudo Mixed Chorus

― 演奏会 ―

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― 定期演奏会の記録 ―

2002年2月11日(祝)

午後3時 開演

松戸市民会館

松戸混声合唱団第8回定期演奏会

4手のピアノのための(ブラームス自身のオリジナル)
「ドイツレクイエム」
 ドイツ歌曲の魅力

指揮:吉田 伸昭

ソプラノ:田島 茂代

バリトン:藪西 正道

ピアノ:榎本 潤、山本 学

合唱:松戸混声合唱団

■主催:松戸混声合唱団

■後援:松戸市教育委員会/松戸市音楽協会/松戸市合唱連盟/千葉県合唱連盟

プログラム・曲目紹介

独唱 ドイツ歌曲の魅力

ブラームス

  • ドイツ民謡曲より静かな夜に
  • 歌曲 甲斐なきセレナード
  • 歌曲 永遠の愛

シューベルト

  • 歌曲「冬の旅」より菩提樹
  • 歌曲「白鳥の歌」よりセレナード

ドイツレクイエム ブラームス

  • 第1楽章 悲しんでいる人たちは幸いですSelig sind, die da Leid tragen
  • 第2楽章 人はみな草のごとくDenn alles Fleisch es ist wie Gras
  • 第3楽章 主よどうぞ教えてくださいHerr, lehre doch mich, dass ein Ende
  • 第4楽章 あなたのすまいは何と麗しいことでしょうWie lieblich sind deine Wohnungen
  • 第5楽章 あなた方はいま悲しみをIhr habt nun Traurigkeit
  • 第6楽章 この地上には永遠の都をもたずにDenn wir haben hie keine bleibende Statt
  • 第7楽章 死する人たちは幸いですSelig sind die Toten, die in dem Herren sterben

ブラームスとドイツレクイエム ―曲目解説に代えて―

「ブラームスはお好き」。10代の終わりに読んだサガンの小説は、多感な同世代が不条理な恋愛を描いて少なからぬ感懐がある。青年が年上の主人公をコンサートに誘うシーンの口説き文句としてはまあまあだが、彼女はモーツァルトのファンだった…。読後以来、ブラームスは“気になる音楽家”として私の心に居座り続けた。趣味としての音楽が生活の一部になるにつれてブラームスとの出会いも増えていった。それはもっぱら交響曲や協奏曲であったり、室内楽曲やピアノ曲だったりで、多数の歌曲や合唱曲に接する機会が意外と少なかったことに今更ながら驚いている。特に「ドイツレクイエム」などは初めてナマを聴いたとき“玄人好み”とも言える完璧さに圧倒され、自分が歌う機会が訪れることはないものと諦観していた。

閑話休題。ブラームスと言えば、重厚、厳格、孤高、内省的、研究者といったイメージやキイワードが思い浮かぶが、その音楽の美しさを感じるとき、時代状況の中で彼の目指していたものが明確な視点をもっていることを理解できる。また、当時のジャーナリズムが書き立てたワーグナー派との確執や古典回帰にこだわる作法、生涯の伴侶とも言うべきクララ・シューマンとの交流など、話題性にもこと欠かない事実を合わせて見ると、後期ドイツロマン派という時代を超えた人間味あふれる魅力的な大作曲家の像がはっきりと見えてくる。ヨハネス・ブラームスは1833年、北ドイツ・ハンブルクで音楽家の父と信仰心篤い母との問に生まれた。家は貧しかったが十分な教育を受けた彼は、音楽にも才能を発揮し、7歳でモーツァルトやベートーヴェンのピアノを演奏し、将来の方向を決定づけた。ピアノ教師や作曲家、音楽史家など優れた関係者に恵まれ、16歳ごろに初めての作品を発表するなどピアニスト、作曲家として順調な道を歩んだ。17歳でシューマン夫妻の演奏会を聴き、20歳で夫妻を尋ねたことが音楽家としての地位を決定づけたのは周知の通り。1897年、63歳で没するまでのブラームスの生涯は、伝記や手紙など多くの記録が残されているので、紙幅の都合もあり、改めて紹介することはしないが、絢欄と輝くロマン派音楽の中で、自己の信ずる道をひたすら歩み、現在でもなお演奏会プログラムの常連として香り高い作品を提供し続けていることは、特筆に値する。

そろそろ「ドイツレクイエム」について触れる時間がきた。この作品の成立経緯については諸説あり、定説はない。シューマンの死が着想の起点となったのはほぼ認められる。10年の歳月を経て、母の死と関連づける説もあるが、その頃にはかなり作曲が進んでいることや本人自身がそれを否定している。ただ第5楽章は、その内容から母への想いで追加されたものと推察される。ブラームスが33歳の最も油の乗り切った時代の作品で、若い頃からいくつもの合唱団を指揮し、合唱音楽を知り尽くした彼の、あまたの作品群の中でも最高傑作である。

ご承知のように「レクイエム」はラテン語を“定番”とするが、この作品はブラームスがマルティン・ルターのドイツ語による新約・旧約聖書と旧約続編から、彼の意志で自由に選択した歌詞を用いている。また、彼の宗教観から、死者の永遠の安息を願う通常のレクイエムに対し、残された人々の心に安穏を与えることにウエートを置いているのが特徴だ。3回の部分的な演奏会を経て、全曲初演は1869年2月18日、ライプツィヒのゲヴァントハウスにおいてライネッケ指揮で、べリングラード・ワグナー夫人とクリュックルを独唱者に迎えて行われ、大成功を博した。ブラームスは1868年5月、オーケストラ付きの同作品を完成した後、同年8月から翌年2月にかけてピアノ連弾用の「4手のピアノフォルテのためのドイツレクイエム」を編集した。

本日、演奏する作品は、ブラームス研究家として知られる合唱指揮者の村谷達也氏が、前記の編曲をブラームスの自筆楽譜に基づいて演奏会用楽譜として監修し、併せて混声合唱4部楽譜を付加し総譜としてまとめたもので、伴奏は2台のピアノ演奏による。1993年に日本初演されたが、千葉県での全曲演奏は初演となる。合唱の歌唱部分はオーケストラ版やピアノ版と基本的に同じなので、今後の演奏機会の参考になれば幸いである。

「ドイツレクイエム」は7楽章で構成されているが、第4楽章を中心にして、第1楽章と第7楽章、第2楽章と第6楽章、第3楽章と第5楽章という形に対応した手法をとっている。各楽章については、以下に簡述する。

第1楽章
「Selig sind」の第一声が重要な意味を持ち、ゆっくりと表情をつけて、抑制的に歌唱される。重厚な響きが作品全体の根本思想を表現して展開され、冒頭の「悲しむものは幸いである」との楽句が最終楽章の後半に受け継がれる。
第2楽章
冒頭は葬送行進曲として沈痛な動きで歌唱するが、次第に明るく、最後は永遠の喜びを獲得し、輝かしく終わる。
第3楽章
バリトンの独唱と合唱が沈鬱な対話をしながら進行し、後半は神への信仰を壮大なフーガでまとめている。また、第2ピアノの持続音は確固たる信仰を強調したもので、作曲者も認めているように奏法の難度が高い。
第4楽章
最も著名な曲で、魂の安息の地を求め、そこに達する喜びを抒情性豊かに美しいメロディーで歌唱される。
第5楽章
全曲中で最後に作曲され、ソプラノ独唱とともに、再び「悲しむものは慰められる」と歌唱される。最後に母のことが合唱で歌われるのは作曲意図との関連で暗示的だ。
第6楽章
作品中、最もスケールの大きい曲でバリトン独唱を加え、荘重な序奏から、明るい長大なフーガが歌唱される。ドラマティックな表現が印象的で感動を呼ぶ。
第7楽章
「荘重に」と記されているように、残されたものへの慰めを願う意図を表現している。最後に第1楽章の終わりの数小節が登場し、感銘深く曲を閉じる形になっている。

(文・朝倉浩之)

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